「水の潟ログ」と上堰潟 [新潟の風景]
「水の潟ログ」での特別展示を見に、新潟市西蒲区にある上堰潟公園に行ってきました。
ここの休憩所で「「角田半島」と「北国街道」のパネル展示」がされているとのことで、
期間中にぜひ行っておこうと思っていたんです。
以前に、県立の方の歴史博物館でも似たような展示があったと思うんですが、
その時は行きそびれてしまったので。
上堰潟公園休憩所内。
おおう、思った以上に簡素なパネル展示・・・!
でも、中身は非常に興味深いものでした。
配布されていたプリントですが、これを見ると2万年ほど前は、
新潟市の辺りはまだ日本海の中で、角田山の辺りが半島のように、
日本海に突き出しているのがわかります。
これが「角田半島」なんですね。
越後国府(直江津)と書かれていますが、2万年前ですから、当時は何もなかったと思われます。
2万年前って・・・・・・どのくらい昔なんでしょう?手元に年表がないのでどんな頃かわかりませんが・・・・・・
その後、縄文時代頃になると、現在の新潟の海岸線となるあたりに、
細長い砂丘が延びていくようで、そこから海岸線が作られていくようですね。
人間がいそうな時代になりましたね。
上堰潟は900年前(平安時代)に「寛治の大地震」というのが発生し、
大津波が長岡あたりまで襲ったそうで、
その結果、現在の赤塚地域の辺りまで内海のようになっていたのががせき止められ、
上堰潟や佐潟が誕生したのだそうです。
それからも新潟の平野は姿を変え続けたようです。
そうですよね、今を生きているお年寄りが子供だった頃、新潟平野はまだ潟だらけだったんですし。
興味深いですねぇ。
地形的な歴史の話のほかに、江戸時代にかかれたという「潟に映る逆さ角田山」の絵
なんてのもあったりして、古くからこの地域では角田山は大切な存在だったのだなと知ることができました。
簡素なパネル展示の前で、腕を組んで「そっかー、そうだったのかー」と、
ひとりうなずいておりました。
ちなみに俺のほかに誰もいませんでした・・・・・・
ここの展示されていた「信濃川下流治水歴史地図」どこかでじっくり見られないかなぁ?
今はない潟が地図上に描かれていてかなり興味深かったんですが。
上堰潟公園は、上堰潟の周辺をぐるっと堤防で囲んだような公園です。
ですが、平常時は堤防いっぱいに水があるわけではなく、半分は潟、半分は公園のようになっています。
公園というか広場の方には、こうして注意を促す看板があります。
ということで、基本的に増水時に水没する場所には、何もないただの広場になっています。
「わらアートまつり」の時には、ここに巨大なわら細工があることもありますが。
そんな場所なので、水はけの悪いのか、雨の後に行くと、いつまでもぐちょぐちょしている気がします。
公園内にも排水のために川がありますが、公園外にも排水路が整備されています。
数年前まで上堰潟公園は、名前は聞いたことがあるけど、たどり着けない公園でした。
何度も通って、やっと見つけたんですよね・・・・・・
今は県道に看板も付いているけど。数年前までなかった気がする。
そして今では、年に何度も通うお気に入りの場所になっています。
オマケで佐潟(さかた)です。
潟の風景は、イベント終了後に通って撮ろうと思っていたのですが、
「キーワードラリー」のキーワードが、佐潟にあるというので、帰りしなにちょっと寄ってきました。
あまり来たことがないのですが、最近、ちょっと気になっている場所です。
またゆっくり来たいですね。
【Cyber-shot DSC-RX100M2】
ここの休憩所で「「角田半島」と「北国街道」のパネル展示」がされているとのことで、
期間中にぜひ行っておこうと思っていたんです。
以前に、県立の方の歴史博物館でも似たような展示があったと思うんですが、
その時は行きそびれてしまったので。
上堰潟公園休憩所内。
おおう、思った以上に簡素なパネル展示・・・!
でも、中身は非常に興味深いものでした。
配布されていたプリントですが、これを見ると2万年ほど前は、
新潟市の辺りはまだ日本海の中で、角田山の辺りが半島のように、
日本海に突き出しているのがわかります。
これが「角田半島」なんですね。
越後国府(直江津)と書かれていますが、2万年前ですから、当時は何もなかったと思われます。
2万年前って・・・・・・どのくらい昔なんでしょう?手元に年表がないのでどんな頃かわかりませんが・・・・・・
その後、縄文時代頃になると、現在の新潟の海岸線となるあたりに、
細長い砂丘が延びていくようで、そこから海岸線が作られていくようですね。
人間がいそうな時代になりましたね。
上堰潟は900年前(平安時代)に「寛治の大地震」というのが発生し、
大津波が長岡あたりまで襲ったそうで、
その結果、現在の赤塚地域の辺りまで内海のようになっていたのががせき止められ、
上堰潟や佐潟が誕生したのだそうです。
それからも新潟の平野は姿を変え続けたようです。
そうですよね、今を生きているお年寄りが子供だった頃、新潟平野はまだ潟だらけだったんですし。
興味深いですねぇ。
地形的な歴史の話のほかに、江戸時代にかかれたという「潟に映る逆さ角田山」の絵
なんてのもあったりして、古くからこの地域では角田山は大切な存在だったのだなと知ることができました。
簡素なパネル展示の前で、腕を組んで「そっかー、そうだったのかー」と、
ひとりうなずいておりました。
ちなみに俺のほかに誰もいませんでした・・・・・・
ここの展示されていた「信濃川下流治水歴史地図」どこかでじっくり見られないかなぁ?
今はない潟が地図上に描かれていてかなり興味深かったんですが。
上堰潟公園は、上堰潟の周辺をぐるっと堤防で囲んだような公園です。
ですが、平常時は堤防いっぱいに水があるわけではなく、半分は潟、半分は公園のようになっています。
公園というか広場の方には、こうして注意を促す看板があります。
ということで、基本的に増水時に水没する場所には、何もないただの広場になっています。
「わらアートまつり」の時には、ここに巨大なわら細工があることもありますが。
そんな場所なので、水はけの悪いのか、雨の後に行くと、いつまでもぐちょぐちょしている気がします。
公園内にも排水のために川がありますが、公園外にも排水路が整備されています。
数年前まで上堰潟公園は、名前は聞いたことがあるけど、たどり着けない公園でした。
何度も通って、やっと見つけたんですよね・・・・・・
今は県道に看板も付いているけど。数年前までなかった気がする。
そして今では、年に何度も通うお気に入りの場所になっています。
オマケで佐潟(さかた)です。
潟の風景は、イベント終了後に通って撮ろうと思っていたのですが、
「キーワードラリー」のキーワードが、佐潟にあるというので、帰りしなにちょっと寄ってきました。
あまり来たことがないのですが、最近、ちょっと気になっている場所です。
またゆっくり来たいですね。
【Cyber-shot DSC-RX100M2】
タグ:DSC-RX100M2 水の潟ログ
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